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  祝!月刊落語会情報誌「よせぴっ」創刊
 No: 31 / Genre: 更新情報 / Date: 2006/09/03(Sun) 23:20:03

先月末に、月刊落語会情報誌「よせぴっ」が、フリーペーパーとして
創刊されました。タイトルの「よせぴっ」は深い意味はなく、皆さんに
可愛がって貰える様な、可愛らしい語感からのネイミングやそうです。
上方落語界が天満天神繁昌亭の完成やら、個々の噺家の活動など、
活発化してきている現在、そういう情報が知りたい、欲しい人も結構多い。
大阪にも色々情報誌はありますが、寄席に関してはおまけ程度の取り扱いで
しかありませんし、新聞等の催し欄もわずかの記載しかありません。
パソコンを持っている人達はネットで検索できますが、無い人はそう言う
訳にはいきません。東京には「東京かわらばん」という、しっかりとした
月刊誌があります。大阪でもそう言う物を作りたいと言う、元編集者、
プロのイラストレーター、他の皆さんがボランティアで集まって、この度この
「よせぴっ」を作ることになりました。創刊号は、今月の繁昌亭から
大ホールの落語会、地域寄席に至るまでの色んな落語会を網羅しております。
これから徐々に催し物情報だけではなく、色んな幅広い寄席落語情報を
掲載して行きたいとの事です。現在、確実に手に入る所は、ワッハ上方、
トリイホール、繁昌亭と、まだ少ないのですが、色んな落語会の会場にも
置けるようにがんばりますとのことです。興味のある方は、落語会の受付等で
聞いてみて下さるか、米輔事務局へメールでお問いあわせ下さい。

この雑誌が大きく羽ばたける様に、皆様方のお力添えも併せてお願い
しておきます。


  新上方落語協会会長選挙告知
 No: 30 / Genre: 更新情報 / Date: 2006/06/09(Fri) 23:13:21

今、何かと話題の文化庁から社団法人の認定を得てから二年、この度、
初めての法人としての会長選挙が行われます。候補者は昨日、今日入った
前座さんから、人間国宝まで。えっと驚かれますでしょうが、この曖昧さが
上方落語協会の良さでもあり、また過去に、何度か協会選挙でトラブルに
なった短所でもあります。選挙の度に、何かともめる制度ではありますが、
私自身はこの無駄な制度は、協会員が自分の意思を示す絶好の良い機会で
あると思っております。でも今回は、繁昌亭建設半ばでありますし、
協会員の意識の上では予想外のサプライズは無いと思っていますし、
サプライズの無い事を祈っております。でも、そうは行かないのがアクの強い
上方落語界の特性であります。選挙は16日。上方落語界の明日を誰に託すか、
噺家のみならず、投票権の無い御客様にまで係わってくるのです。でも、
そうかと言うて、一部のお客さんの意向も協会の執行部に反映させると、
それはただ単に協会内の噺家の人気投票になってしまう可能性もあります。
そこがなかなか難しいところでもあります。協会内事とは言う物の、
繁昌亭の明日にも係わる事なので結果が決り次第直ぐに報告をさせて頂きます。
余談ですが、先月から休養中の春団治師匠もこの日ずけのの日から、
仕事の復帰されました。良かった、良かった。


  春団治師匠の休演
 No: 29 / Genre: 更新情報 / Date: 2006/05/23(Tue) 23:01:17

春団治師匠が旅先のホテルの階段で足をすべらせて、胸を打ち、
ろっ骨を折ったとの事。幸い怪我は軽傷ですみましたが、息をする
だけでも胸が痛い、大きな声でしゃべれないと言うので、この五月後半の
舞台を休演されています。もちろん、今までも、舞台を休演された事は
何度もありましたが、それはすべて内科的病気が原因での休演でした。
上方落語界の大師匠と呼ばれる方々の中で、いま唯一、気力体力ともに
充実されてる師匠で、ご本人も「わしは九十いくつまで、舞台をやんね」
おっしゃっておられ、普段から出来るだけ歩くようにしたりして、
身体には、十分気をつけておられました。その師匠が…。

否応無しに、時間はどんどんとお構い無しに流れて行ってるんですな。
いつまでも大師匠方ばっかりに頼ってたらあかん。後へ続く者らが、
しっかりせえと言う事ですか。いつの間にか、気が付いたら我々が
責任世代になって来たがな。こらいよいよ、えらいこっちゃ!


  繁昌亭上棟奉告祭
 No: 28 / Genre: 更新情報 / Date: 2006/05/10(Wed) 17:07:42

半年振りの更新です、すいません。

5月8日に大阪天満宮で、噺家はじめ多くの関係者が集まり、繁昌亭の
上棟奉告祭が行われました。まず本殿で上棟奉告の儀が行われて、その後
建築現場にて、建前の儀が行われました。曳綱、槌打ち、弓引き鳴弦、
神饌散餞の儀など、古式に則り厳かに、滞り無く進められ、直会まで
神事として行われました。だいたいの輪郭が見えてきた建物を目の前にしての神事、
秋に行われるであろう杮落としの興行とを重ね見て、協会関係者の一人として、
大勢の方の力で繁昌亭が、もう動き始めた、もう後戻りの出来ない責任の重さを
感じた次第でありました。
また一方で、噺家の性か、他の時代の先端を行く、新しいビルの建設現場でも、
このように古風に神事が行われているのだなあと思うと、違う感慨も湧き
上がりました。
上棟式と言うと思い出す事があります。現在の米朝邸での事でした。
師匠の上棟式の呼び出しに、大阪では新築祝いの方を盛大にするので、
棟上は形だけで、服装も普段通りで良いとの予備知識を入れて、米朝宅へ
伺ったところ、師匠は施主として初めて家を建てると言うのでえらい
意気込んでおりました。弟子達のラフな服装に「なんでネクタイの一つも
締めてけえへんね。ヤクザの世界なら指を詰めるとこやぞ」とずいぶんのご立腹。
ひとしきり皆がお小言を頂戴をして、式次第が終わり宴会が、始まった頃に、
故歌之助さんが「遅くなりました」と、我々よりもっとラフな格好、上下
ジーンズで現れました。当時、まだジーンズは作業着、仕事着と言う
イメージでTPOしてはふさわしくありませんでした。、皆が飲んでる
横で「歌之助、お前はな」と、またお小言が始まり「拍子の悪い人やな!」
とみんなで顔を見合わせた事を思い出します。もう二十年近くも前の事ですが。

そうそう、それから三十三年間変わらなかった米朝事務所に、社長の交代が
ありました。前社長が会長に、今井君が新社長に成りました。

あれやこれや、何かしら時の流れ、時代の節目が回って来たような気が
いたします。

  天満天神繁昌亭
 No: 27 / Genre: 更新情報 / Date: 2005/12/01(Thu) 22:56:00

本日(12月1日)、大阪天満宮で、多くの噺家、関係者が集まりまして、
天満天神繁昌亭新築工事の安全祈願祭と地鎮の儀、引き続き直会が
滞りなく行われました。建設現場での地鎮の儀では、本当に60年振りと
言われる定席の落語の寄席が、ここに出来るのかと思うと、六代目松鶴師匠の下、
初期の島之内寄席に係わった身としては、仮住まいやない、自分達の
本格の寄席を持てると言う立場にいる巡り合わせの幸せと、これを見ずに
亡くなった先輩方の事を思うと、この多くの方の善意の志で出来る寄席を、
どう維持し、発展させ、お客様方の善意に報いて行くかと言う責任を、
改めてより強く感じました。

さあ、来年には東京にも負けない立派なハードが、出来上がります。
次は、我々がその立派なハードに見劣りしないソフトを、どう提供していくか、
お客様方の熱い気持にどう応えて行くか、今度は我々の熱意と力が
試される番です。国立演芸場や無しに、繁昌亭は皆さんの寄付で出来たんです。
もうここまで来たら、後は、噺家一丸となって、やるしかないのだ!


  寄席のお三味線
 No: 26 / Genre: 更新情報 / Date: 2005/11/05(Sat) 22:28:24

この11月2日の日に寄席囃子三味線の森キヨ子さんが享年70歳の若さで
お亡くなりになりました。晩年の10年近くは、体調を崩し引退状態でしたが、
長く米朝一門の会を中心に活躍されてきました。この方は、戦後の寄席囃子を
ずっとリードしてきた、林家とみ(二代目林家染丸夫人で、無形文化財認定者)さん、
その社中の池中スエさんのお弟子で、現在では唯一その系統の方でした。

現在のお三味線は、ほとんどの方が故桑原文子さんと言う方に手ほどきを
してもらっています。この故桑原文子さんは歴とした長唄三味線の師匠
だったのですが、戦後の混乱期、長唄界が落ち着くまで少しの時期、
寄席の囃子を手伝って来られていた事がありました。まなしに長唄界に
復帰されたのですが、晩年、ご縁があって知り合いとなった、落研の学生さんに
請われて、アマチュアの方に寄席囃子の三味線を教え始められました。
ところがその若い教え子の皆さん方の中から、単なる稽古に留まらず、
次々とプロになりたいと、この世界に飛び込んでこられました。昔は花街を
引退された方か、器用な噺家の嫁さんがさせられたものでしたが、
今は落語が好きな若い女性が噺家になれないのなら、お三味線弾きになりたいと
言って、たくさんこの世界に入ってこられます。
私がこの世界に入った時は、もう既に林家とみさんはお亡くなりになってました。
怖いおっしょさんであったと言う話は、よく聞いておりましたし、そのお弟子の
池中スエさんも怖いおっしょはんでした。その当時、寄席囃子の主流であった
林家とみ系の人が、誰も居なくなって、それに取って代わる新しい流れが
出来ました。これも時代の、落語界のうねりの一つなんでしょうな。

  食べこぼしのシミ
 No: 25 / Genre: 更新情報 / Date: 2005/08/25(Thu) 23:27:56

弟弟子の米左君からの電話で、お世話になってる方から、高級料亭での
パーティーにご招待を受けました。「兄さん、格好は黒紋付の羽織、袴で」
と言って切れました。もちろん羽織袴は、冗談で、まあともかくも、
失礼の無い格好でと言う事なのですが。でもよく考えると、弟弟子さんに
そんな心配をさせるとは、不肖の兄弟子なんだな、私は。それはともかく、
ネクタイはしないまでも、ジャケットぐらいは着て来いと言う事であろうと思い、
数少ない夏の上着を引きずり出しておりました。一つは去年の夏、
お刺身の醤油が飛んで、落ちずに処分したな。もう一つはと、出してみますと、
やや、これにもエリに食べこぼしの痕と思えるシミが、これをあわてて
洗濯機でドライ洗い。芸はちょっとも似いひんのに、こんなとこだけ、
師匠米朝似やなんて、イヤヤなと思ってしまいました。師匠の欠点を
暴露するようで、気が引けますが、私の師匠は八十歳の今でもかなりの
健啖家で、食事はいつも、むさぼる様にして食べます。お腹を空かした
難民の子供かと思うほどに、次から次えと食べ物を口へ放り込んでいきます。
誰も盗れへんさかい、もっとゆっくり食べたらええのにと思うのですが、
いつもほうばってしまいます。その食べっぷりを気持がエエと言う方も
いたはりますが、でも、その分、シャツや上着には食べこぼしが、いつも
いっぱい飛んでおります。直ぐにシミを付けてしまうのです。戦中戦後の
食糧難の時代を生き抜いてこられましたから、その時の習慣が抜けないので、
致し方が無いのかなとは思いますが、弟子としては、国宝を見る周りの方の
視線が気になるところであります。

そう言えば、弟子に入った頃、昭和十三年生れの兄弟子の月亭可朝兄さんに
ご馳走になっ時、猫舌ですからと遠慮をしてたら「それはぜい沢や。
わしらの子供の時分は、猫舌やなんて言うて、冷ましてたら、みな他の者に
取られて、食べる物なんかみんな無くなってしまう。生き残る為に、熱うても
何でも、我先にと、競争のようにしてたべたもんや」と真顔で、お叱りを受けた
こと思い出します。

やっぱり、これも三つ子の魂百までと言う事なのでしょうね。


  愛情一本?
 No: 24 / Genre: 更新情報 / Date: 2005/07/08(Fri) 01:17:53

最近、気になるCMにチオビタドリンクがあります。高島礼子扮する
奥さんが、旦那の肩を叩くと地面にめり込む。そしてそれを引き抜いて、
会社へ放り投げて一言「世話が焼けるな」と。アリナミンVの初期の
CMにも、そういうのがありました。ゴルファーの丸ちゃん扮する
ご亭主が、朝、玄関で倒れ込んでるのに、奥さん曰く「これ飲んで、
今日も一日がんばって来てね」。当時、このCMを見る度に「そない
疲れてんのやったら、薬飮まして働かさんと、もっと身体を労わって
休ましたれよ」と、よくテレビに突っ込んでおりましたが、
この愛情一本チオビタドリンクは、このCMのまだその上を行って
います。これでは男女同権どころか、女王蜂や女王蟻に、ひたすら
死ぬまで仕える奴隷と一緒ではないですか、男をどない思とんねん、
なんぼ疲れてもこれだけは飲むまいと言うような不快感を覚えます。
ただ単に目立つと言う意味では、成功はしているのかも知れませんが。
それよりは、もうマンネリになっていても「ファイト、一発!」や、
食物連鎖の天敵にはむかうリゲインのCMの方が、さわやかで元気が
出そうな気がしますが。皆さんは如何でしょうか。こない感じるのは、
私が男、とりわけおじさんだからでしょうか。
それとも、やっぱり男がだらしなくなったのでしょうか。

  「タイガー&ドラゴン」放送終了
 No: 23 / Genre: 更新情報 / Date: 2005/06/28(Tue) 01:22:02

テレビドラマ「タイガー&ドラゴン」の最終回が放送されました。
ドラマとしては珍しく寄席と噺家が題材で、毎回、落語のネタを
一席、ベースにしてストーリが進むと言うユニークな仕立で、
ドラマと言う性質上、多少の現実には無い誇張はあったものの、
あまりドラマは見ない私としても「ごくせん」以来、楽しく放送を
見せてもらいました。このドラマのお蔭で、東京の寄席は若いお客が
増えているようですし、一部で落語ブームの再来かとも言われたり
してるようです。また、ドラマの舞台になった浅草演芸ホールには、
噺家役だった長瀬智也くんや、岡田准一くんはいつ出ますかというような
問合せが、かなりあったそうです。まあ何にせよ、寄席や噺家が話題になり、
関心をもってもらえるのは、誠に結構なことです。また、このドラマの
人気に便乗して、ドラマの中で演じられた落語を、CDにして売り出そう。
それも若い人が買いやすいように、一席の収録にして、安くしよう。
と、ここまでは良いのですが、そこにリストアップされた噺家は、
三代目三木助、志ん生、文楽。あのね、TOKIOやV6のファンの若者に
落語のCDを売ろうとするなら、ドラマに出ていた昇太君を含めて、
平成の空気を吸うている噺家を使いなさいよ。志ん生も文楽も三木助も
非常に優れた噺家ではありますけれど、活躍されたのは昭和30年代。
年寄りが若者にセピア色に変色した写真を見せて、自慢話をしている
ようなもの。今の若い人に落語に興味を持ってもらおうとするなら、
今の時代の噺家、それも彼らに近い世代の方が取っ付きやすいと
思いますがね。もっとも、それが無いからだと言われてしまえば、
それまでですが。それでも、故志ん朝師、談志師、小三冶師もいますよ。
時代の風に敏感であるべきレコード会社?CD会社が、いつまでも
お役所的、安定志向では、現場の噺家も、お客様も迷惑なんですけど!
残念!(人のネタをパクルな!)


  真打制度導入凍結
 No: 22 / Genre: 更新情報 / Date: 2005/06/24(Fri) 21:47:20

今月、22日(水)に行われました上方落語協会総会で、正式に真打制度
導入の凍結が発表されました。若手の目標のためにと、提案された
のですが、これがマスコミに既に決定したかのように流れ、寝耳に
水の若手が反発。これより前に開かれました役員会でも、反対意見が
多数を占めました。真打と認める基準作りが難しい。スポーツのように
結果、勝敗がはっきりとでませんし、人それぞれの好みも違う、技術の
難易度の判定もあいまいですし、噺家に面と向かって苦言を言える
ご意見番、東京の席亭のような存在もありません。いずれ、ベテランになると
必然的に真打にするのなら、いらぬ混乱(東京の落語協会の分裂)を招くだけ。
権威や体制に頼らず自由にのびのび活動するのが大阪的、等々。
東京でも真打制度は形骸化しつつあるとの報告もあり、この度は導入を
見送る事として、凍結と言う名の廃案になりました。
これから益々、娯楽も多様化して来て、寄席の形態もどんどんと変わって
行くでしょう。温故知新と言う言葉もありますが、今現在は、古い枠に
とらわれず、新しい時代の寄席、噺家社会のあり方を考えていかねば
ならない必要に迫られています。当然、真打制度は真打制度のメリットも
ありますが、私は単なる噺家の良かった時代へのノスタルジーだけなら、
百害あって一利なしと考えますが、皆様は如何お考えですか。

     ドガチャガと35周年
 No: 21 / Genre: 更新情報 / Date: 2005/06/17(Fri) 15:49:37

皆様に、ご挨拶が大変遅くなりましたが、何とか、ドガチャガ落語会と
35周年記念落語会を当初の予定通りに、無事打ち上げられました事を、
ここに厚く御礼申し上げます。この一年間、耐えがたきを耐え、会場に足を
運んで頂きましたお客様を始め、共演の皆様方や、また何の因果か、
運営に係わりになってしまった方々、他、たくさんの人々にお力添えに
支えられまして、何とか、途中、レッドカードも頂かずに、乗り越える事が、
できました(えっ、ほんとは出したかった!こら失礼)。思えば、
あっと言う間の一年でした。一年もあれば、十分準備が出来るやろと
思うている間に、時間だけが、あれよあれよと経ってしまい、さしたる
成果も出せ無いまま、また今回も、お客様に甘えてしまいました。
いつまで甘えるね。すいません!これではいかん、これでは師匠衆や
御贔屓衆に申し訳ないと(まるで「大安売り」やな)思いまして、で、
少し充電期間を頂きまして、また勉強会を再開させたいと思っております。
これからも、宜しくお付き合いの程を、お願い致します(えっ、またやんの、
こらやぶ蛇やったな)。


   三越大阪店の閉店
 No: 20 / Genre: 更新情報 / Date: 2005/05/05(Thu) 23:50:19

大阪、高麗橋にあります、創業から315年の伝統がある三越百貨店の
大阪店が、今日五日に惜しまれて閉店となりました。この大阪店には、
以前、三越劇場と言う名前のホールがございました。後に廃止されて
しまうのですが、私の入門(昭和45年)当時は、まだあり、そこで芝居の
公演等と、同じように、昭和30年頃から定期的に三越落語会と、
その若手会が催されておりました。本会は昼間の公演でしたが、落ち着いて
たっぷり聞ける良い会でした。この本会は、その後、百貨店の事情で
直ぐに終わってしまいました。百貨店は閉店前の、この20年間、ずっと
赤字だったようですが、その当時でも、売り場にはお客さんの姿は
少なかったように思います。若手会の方はその後もしばらく続けられましたが、
それが有料であったのか、無料の整理券であったのかは、今となっては、
もう忘れてしまいましたが、高度成長期時代、昼間の会と言う事もあってか、
お客さんの入りは、あまり多くありませんでした。しかし、楽屋の方は、怖い
師匠方がいないと言うので、皆、生き生きのびのび楽しい雰囲気で、舞台を
勤めておりました。そして終演後は、出演者も手伝いに来た者も一緒に、
ホールから頂いた食券で百貨店の食堂へ行くのですが、他の物も頼めるのに、
私はここのきつねうどんが大変美味しく、いつも楽しみで、こればっかり
頼んでいた様に思います。出演者が足袋や肌襦袢を忘れて、呉服売場へ
買いに走ると言うような事もありましたが、高級品が多く並ぶ三越では
あまり買い物は出来ませんでした。三越大阪店の閉店の報道を聞いて、
その時のきつねうどんのダシと揚げの味を思い出しました。
そう言えば、高島屋落語会の後での食事会は、ローズランチが美味し
かったな。

 林家 染語樓君が逝く
 No: 19 / Genre: 更新情報 / Date: 2005/03/31(Thu) 00:47:54

昨日(29日)の朝、染語樓君が食道がんの為に他界をしました。
入門は私の方が少し先輩でしたが、共に同じ昭和25年生まれで、
同期の仲間同様に気心の知れた存在でした。そして「川柳二匹目のどぜう」
の会員でもあり、ユニークなユーモア句をたくさん作ってくれていました。
また入院中も「出られませんが、投句だけはします」と病室からも
投句をしてくれていました。今月は珍しく投句が無く、どうした
のかなと思っていた矢先の事でした。ここ数年の間に「二匹目のどぜう」
落語家会員としては、故歌之助、故喜丸に次いで三人目の物故者。
1月に一度退院をした時には、句会にも出席してくれて、いつもと変わらず
みんなと一緒にお酒も飲んだし、今月(3月)に自分の会も予定していたのに。
噺はお父さん(三代目染語樓)譲りの新作「青空散髪」「市民税」などを
多く手掛け、飄々とした軽い語り口で、他には真似の出来ない独特の
雰囲気があリました。それだけに、この齢での他界は悔やまれます。
今月は、先に大先輩の文枝師匠と文紅師匠のお二人もお亡くなりに
なりました。人の集まる所が好きで、どんな時でも付き合いの
好かった染語樓君、何もこんな時まで、お付き合いせんでもええのに。

お疲れ様でした、安らかに御休み下さい。それと極楽寄席の皆さんには
「もう当分の間は、誰も誘いに来ないように」と、くれぐれも釘を
刺しておいて下さい。                    合掌

 えらいこっちゃ、太融寺!
 No: 18 / Genre: 更新情報 / Date: 2005/01/29(Sat) 23:15:17

今月27日、ドガチャガ落語会の公演で、大阪梅田にある太融寺へ
行ってびっくり、いつも落語会で借りている本坊が、8月いっぱいで
閉館との、張り紙がしてあるではありませんか。えらいこっちゃ!
どないしょう。無くなったら、落語の勉強会はどこでするね。
閉館後の事は何も書いてはいませんでしたが、お寺の事ですから、
古い本坊を建て直しても、広間は出来るんでしょうが、新しくなると、
落語会に貸してもらえるかどうか、もし貸してもらえたとしても、
新しくなると、当然、会場代も今よりは、高くなるやろな。太融寺で
噺家が、勉強会をするようになって三十数年、亡くなった歌之助世代
から始まりました。それ以前の枝雀兄世代の先輩方は、大阪、千日前に
あった自安寺、ここで若手の勉強会をしていました。その頃、客席には
中学生の三林京子さん(桂すずめ)の顔もあったそうです。一緒に
来ていた三林の級友は枝雀(当時小米)ファンで、この人(枝雀)は、
初代春団治のような噺家になると予言をしたそうですし、またその通りに
なりました。その自安寺が、千日前通りの道幅拡張の為に立ち退き、現在の
二つ井戸に移転。この後、勉強会のメイン会場は太融寺に移りました。
これも時代の流れですかな。再建された本坊で会が出来れば良いのですが、
出来なければ、早く協会の自前の寄席、「天満天神繁昌亭」を作らねば。
皆様方のご寄付を、心よりお待ちしております(受付は2月14日から)。
どうぞ、宜しくお願いいたします。
(詳しくは上方落語協会まで Tel 06-6644-3619)

 米朝一門のお年始
 No: 17 / Genre: 更新情報 / Date: 2005/01/03(Mon) 21:52:37

新年明けましておめでとうございます。
今年も米輔新聞並びにドガチャガ落語会をどうぞ宜しくお願いいたします。

米朝一門のお年始は、数年前から一月二日のサンケイホールの米朝一門会
(以前は独演会)に先立ち、楽屋で一門の面々が顔を揃えまして、
師匠米朝に新年のご挨拶をいたします。そして、師匠から言葉を
いただき日本酒で乾杯だけを行い全員(弟子、事務所、お三味線)が、
師匠からお年玉を頂きます。その後、会の終演後に、一門が寄って
少し宴会をするのが、最近の恒例となっており、今年もざこば兄さんが
一門を代表して師匠に新年の挨拶を行い、師匠より「今年も、皆で、
がんばりましょう」との言葉をいただき、賑やかにお年始を終える事が
出来ました。
余談ですが、すでに産経新聞でも報道されましたが、本日の一門会の
打ち上げでも産経の社長から「サンケイホールのある産経ビルは、
7月18日を持って閉鎖、取り壊されて、2008年に大小二つのホールを
持った新しいビルに生れ変わります。その時には、また落語の会を」
との発表がありました。

それ以前のお年始は、元日に米朝宅にお邪魔をして、黒紋付の羽織袴姿で、
師匠に新年のご挨拶をして、その後、そのままの姿で、近くのスサノオ神社へ
お参りをしました。黒紋付の集団がゾロゾロ移動するのは、やくざかと
思うような異様な光景でした。その当時、年に一回、この時だけしか
黒紋付を着ない噺家もおりました。ですから、その者はここ数年は
黒紋付は着ていないことになります。
皆で初詣をすまして、その後新年会になるのですが、このまた新年会が長い。
朝の九時か十時頃から始まって、師匠が「ほなもうそろそろ」と言い出すのが、
早い時で夕方の五時、六時。どうかすると、終電車で帰らないかん事も
元日から師匠宅に泊まらないかん事も何度かありました。このエンドレスの
宴会に弟子の方は、ゴロゴロ酔い潰れてるのに、師匠は平気で、その上、
まだ翌日のサンケイホール独演会をパワフルに勤めると言う、とてつもない
元気な師匠でした。お酒が好きで後を引くと言うのは、今も変わりませんが。

 十三日は事始、十八日は観音講?
 No: 16 / Genre: 更新情報 / Date: 2004/12/17(Fri) 23:28:11

十二月十三日は正月事始。これを略して、単に事始。お琴の糸の数が
十三本なので、こと始も十三日と言う説もあります。この日から正月の
準備に掛かります。この風習がはっきり残っているには花柳界と
やくざの社会と、噺家の世界。噺家の世界でも、こう言う風習もやはり時代の流れで
少しずつ少なくなりつつあります。我々米朝一門では、師匠がこう言う
セレモニー事が、いたって好きなもんで、私が入門してからでも、ずーと
欠かさず続けられております。芸事の世界では、事始の日には、鏡餅を
持って師匠の家へ伺い、この一年を感謝して、来年への芸の上達を
師匠にお願いをするのであります。今年も、米朝一門弟子一同で
鏡餅を供えさせて頂いたのですが、その連名が月亭可朝長兄を
筆頭に孫弟子、曾孫弟子まで入れて、今年は何と五十名になりました。
するとざこば兄さんが「これやくざやったら、大きい組やで」と。また既に、
故人になられた方も六名と、こちらも他所より多くなっております。
時の経過をはっきりと感じさせます。この上は、この頃ちょっと気弱に
なってる師匠にも、これからの健康維持の為に、歌舞伎の雀右衛門さんを
見習って、ジムへでも行って筋力トレーニングをしてもらいますか、
嫌がるやろな「この年になって、何でわしがそんな事をせんならんね」
噺家は皆、宴会は好きやけど、真面目でしんどい事は嫌いやもんな。

 珍品?崇禅寺馬場
 No: 15 / Genre: 更新情報 / Date: 2004/12/10(Fri) 23:11:28

更新が随分間が空いてしまいました。毎度言い訳ですが、お届けできる
情報が、あまりありませんでした。この間、同世代の噺家が二人
入院しましたが、人のプライバシーに係わる事ですから、私がとやかく
言う事ではありませんし、出来たら、人のゴシップやスキャンダルは
そっとして置きたいと思っております。でも、それとは別に
入院中の二人は良い方へ向かっているとの事です。

先月のドガチャガ落語会で、お客様の珍しい噺を聞きたいと言う
ご希望に副って「崇禅寺馬場」を私自身20年振りにやらして
もらいました。当日はそれをお目当てに来られた方もいらっしゃった
ようですが。しかし、だいたい珍しい噺と言うのは、そもそも
噺自体が面白くなく、お客様が笑わないので、噺家がやりたがらない、
だんだん高座にかからなくなって、馴染みが無くなり、珍しく成る。
ですから、珍しい噺に掘り出し物はなかなか無いのです。その日の
「崇禅寺馬場」の感想に、SF作家の堀晃先生のHPの11月25日付けの日記に
(http://www.jali.or.jp/hr/indexhtml)やはり面白く無いとありますが、
これはごく一般的な感想だと思います。でも、その一方で、
笑いの少ない噺も落語の一部なのだから、時々はするべし、残すべしとのご意見も
ありました。でも、古典落語なのだから、いつまでも残ると言う
ものでもありません。やはり時代、時代の風にさらされて、消える
ものは消えていきます。

すいません、酔うて書いてる内に、まとめを忘れました。思い出したら、また書きます。
つづく。

上記のアドレスでアクセス出来なければ、リンクからアクセスして下さい。

 小松左京マガジン
 No: 14 / Genre: 更新情報 / Date: 2004/10/29(Fri) 22:32:39

この度師匠米朝が、実名でSF小説の主人公になりました。
その小説と言うのは、今月28日に角川春樹事務所より発売され
ました「小松左京マガジン第16巻」に収録されております、
かんべむさし先生の短編「幻夢の邂逅」であります。若き日の
米朝が、実際には一日の差で、出会うことの無かった三島由紀夫との、
夢の中での心の交流を描いています。この小説、オッとこれ以上
言うと、手品の種明かしになってしまうので、もう言えませんが、
でも、ここだけの話、登場人物が、みんな実在で実名と言うのも珍しいですね。
この「小松左京マガジン」大書店の店頭にも置いてありますが、
全国の書店からも注文ができます。BK1(http://www.bk1.co.jp/)
でも、購入できます。
またその他にも、落語好きのかんべ先生には「泡噺とことん笑都」(岩波書店)
と言う小説もあります。こちらの方は、米朝並びに米朝一門の
噺家から、他の一門の方々まで、多数の噺家が実名で登場して
おります。もちろん、私、桂米輔も少しですが出ております。そして
主人公の桂朝之助は、故桂歌之助さんがモチーフになっております。
興味のある方は、是非一度読んでみて下さい。


 インフォメーション
 No: 13 / Genre: 更新情報 / Date: 2004/10/18(Mon) 23:46:15

この度、岩波書店から師匠米朝の「桂米朝集成」全四巻(第一巻は
11月2日、第二巻は12月3日発売予定。いずれも定価3570円)
が出版されます。若い頃から色んな物に書き寄せた文章、随筆、
随談を発掘、網羅して、米朝が復活させた落語の速記の初掲載やら、
新規の対談。師匠の音源、映像等の資料までも集大成、一巻
当たり、平均300項とのことです。
また、「川柳二匹目のどぜう」のメンバーでもある荻田清(梅花女子大学教授)
さんも、この九月末に、朝日新聞社から「笑いの歌舞伎史(朝日選書)」
(定価1200円+税)を出版されました。今日の歌舞伎では、残念ながら、
もはや本筋では無くなった笑い、道化の部分にスポットをあてて、
中に落語もからめて考証した、なかなかの力作になっております。
歌舞伎、または落語、どちらかに興味のある方は、是非とも一度、
書店で手にとって御覧下さい。


 噺家の老人ホーム
 No: 12 / Genre: 更新情報 / Date: 2004/10/03(Sun) 22:52:25

更新に大分、間があきましたが、けして横着をしてサボってた訳では
ありません。お届けできる情報がありませんでした。でも、こんなに
間が空いてしまうと、アクセスしてくださる、皆様に申し訳ないので、
少しオフレコの話も流します。
先月の役員会での話。一通り議題の話ががすんでの後、雑談の中で
会長が「これは将来の夢やねんけど、いつか、身寄りの無い一人暮らし
の噺家の為の、噺家だけの老人ホームが作れたらええなあ」と言う
話が出ました。会長の話によると、何でもイタリアでは音楽家の
そういう施設があって、皆が助け合って生活をしてる。時には、
入所している音楽家が地域の人の為に、無料の音楽会を開いてると
いうのであります。その話はそれで終わったのですが、私はその話を
聞いて、以前読んだ宝塚歌劇団の新聞記事を思い出しました。何でも、
宝塚でも、そういう企画があって、ええところまで話が進んだんや
そうすが、最終的にはダメになったんやそうです。と言うのが、
宝塚はご承知の通り、縦割りの社会で、一年違うだけでも、先輩
後輩で、先輩にあごでこき使われるんやそうです。七十、八十に
なっても、まだ老人ホームで、先輩にこき使われるのは、かなわんと
言うので、その話は、それで、たち切れになったそうですが。考えたら
噺家も、同じ縦割り社会です。七十、八十になっても、老人ホームで
、まだ先輩の着物畳まされるのはいややでと言う意見も聞きました。
若手の人に言うと、そんな先の話よりも、今、住む所にも困る若手が
多い。老人ホームよりも、そういう若手の為に、寮か合宿所、住む所を
を作って欲しいと。「けど、噺家ばっかりが集まって住んだら、近所は
えらい迷惑やし、管理人、もしくは寮長は、もっと大変やで」とは、
古い噺家の、自己体験の弁でした。いつの時代も、みんな近所に迷惑
を掛けとおんねんがな。


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